教育技術の使用は「実態把握」と「その分析」から
私の書いた「教育技術法則運動」論について、コメントくださりありがとうござい
ます。
コメントいただくのって、本当にうれしいです。感謝します。
主に、パート3についてコメントいただきました。
「論文」と呼べる代物ではありませんが、場面や範囲を絞って書いてみたところが
いいかなと思っています。
「生の場面」に有効な教育技術とは何ぞや?
それもいくつかの指示を示し、それの短所・長所・有効な点などを分析し記してい
くうちに、あのようなものになっていきました
ただ、面白いですね。一つ一つの指導行為について分析し、考えていくと・・・・
・。その分析内容の中に「理論」なり「原理・原則」なりが自然と顔を出してくるか
らです。
例えば私の記した次の箇所についてです。
「持っているものを置きなさい。話をします。」
これはよく知られた指示ですが、この指示をたくさんある指示の中から選択し、使
用したのは次のようなことからです。
1 今、子どもはモノを持っている。
2 モノを持っている状態では、教師の方に意識は向かない。
3 仮に意識が向いたとしてもその後次のような状態が考えられる。
(1) また意識がモノの方に戻ってしまう。
(2) 意識の半分は教師の声、もう半分はモノへ、というふうに意識
が散漫になってしまう。
4 2と3のような状態になってしまうのは、特に子どもの場合は音声
よりも、目の前にある実物つまりモノへの興味の方が強いから。
5 また、人間は、意識のエネルギーが注がれている状態がある程
度続くと、その意識のエネルギーを注ぐもとになった行為を断ち切
らないない限り、意識のエネルギーを注ぐ対象は変えにくいから。
簡単に言うと、切り換えがしにくい。
このように、先の指示を選択し、使用したのも、上のような実態とその実態への分
析があるからです。
実態の把握と実態の分析の結果、それに対し上の指示が「有効だ」と認識し、選択
し使用したわけです。
つまり、ある教育技術(「指示」)を選択し使用するのも、その始まりは「目の前
にある実態(例えば子どものそのときの状況)」からです。
これなしには、教育技術の的確な選択能力・使用能力は身につきません。あるいは
瞬時の発揮能力の習得は難しいことでしょう。
こう書いているうちに、またここに一つの「理論」あるいは「原理・原則」が今出
てきました。次のようなものです。
ある教育技術が使用されるまでに次の段階がある。
1 そのときの実態の(ある観点からの)把握
2 そのときの実態の(ある観点からの)分析
3 そのときの「実態」に有効な教育技術の選択
4 その教育技術の使用
* 1〜4までは瞬時に行われる場合が多い。
このような「理論」が出てきました。(理論と言えないかも知れませんが・・・)
そして、この「理論」は使いようがあります。言い換えると、教師としての力量を
上げるために役立ちそうな感じです。
つまり、1から4までの文言のあとに「する力を高めるには」という言葉をつける
と、それが分ります。
1 実態を把握する力をつけるには
2 実態を分析する力をつけるには
3 実態に有効な教育技術を選択する力をつけるには
4 教育技術を使用する力をつけるには
1から4は全て、教師としての力量を高めるために学んでいくとよいテーマとなり
ました。
さらに、1から4をそれぞれ枝分かれさせてたくさんの項目を分けていくと、学ん
でいくとよい事柄がより具体的になっていきそうです。(続く)
話は続きますが、少し長くなりそうなので今日はここまでにしておきます。
この続きは次回のメールで。
追伸:焼酎を飲みながらこのメールを打っていました。
お礼だけのつもりが、少し考えているうちにこんなに長くなってし
ました。それも小難しい言い方になって・・・。
少しは参考になりますか。書いていくと、いつもこんな感じなって
しまうのです。悪しからずご了承ください。